「言い返せなかったのが悔しい」―大正時代の女学生から考える、声を上げるということ(朝ドラをヒントに)
2026/10/06
朝ドラを見ていたら、
大正時代の高等女学校で、
印象に残る場面がありました。
主人公と仲間の4人が、
自分たちで「同人誌」をつくります。
自分たちで文章を書き、
小説や俳句のような形にして、
級友たちに読んでもらう。
今なら、学校の文芸部や
自主制作の冊子のようなものかもしれません。
ところがある日、
4人は校長室に呼ばれます。
そして、
「学校の教育方針に反する」
「社会を批判するような内容を書くことはけしからん」
と叱られてしまいます。
見ていて私は、
「この時代は、自分の考えを表現することにも、
ずいぶん大きな壁があったのだな」
と感じました。
大正時代は、
新しい思想や文化が広がっていった時代です。
一方、高等女学校では
「良妻賢母」という考え方が
教育の大きな柱になっていました。
女性には、家庭を支え、慎み深く、
周囲と調和することが期待されていた時代でもあります。
興味深いのは、大正期には同時に、
女性の生き方や社会参加について
新しい考え方も広がり始めていたことです。
つまり女学生たちは、
「こうあるべきだ」
という社会の価値観と、
「私はこう思う」
という自分自身の考えの間に立っていたのでしょう。
ドラマの中で、
仲間の一人がこんなことを言いました。
「言い返せなかったのが悔しい」
私は、
この言葉がとても印象に残りました。
心理学では、
人は強い立場の人を前にしたとき、
自分の考えがあっても言葉が出なくなることがあります。
校長先生。
上司。
教師。
親。
その場を支配する人。
相手との力関係が大きいほど、
「言ってはいけないかもしれない」
「逆らったらどうなるだろう」
「自分の考えのほうが間違っているのではないか」
と、自分の中にブレーキがかかります。
そして、その場では黙ってしまう。
ところが、あとになってから、
「あのとき、こう言えばよかった」
「本当は、私はそう思っていなかった」
「どうして何も言えなかったんだろう」
という思いが出てくることがあります。
ドラマの女学生が感じた「悔しい」という気持ちも、
そこにつながっているように感じました。
ただ、この「悔しさ」は、とても大切な感情でもあります。
なぜなら、
「私は本当は、こう言いたかった」
という自分の考えが、そこにあるからです。
言い返せなかった自分を責めるより、
「私は何を伝えたかったのだろう」
と考えてみる。
すると、自分が大切にしている
価値観が見えてくることがあります。
大正時代の女学生たちが、
自分たちで文章を書き、仲間に読んでもらった。
それ自体が、
「私はこう考える」
という小さな自己表現だったのかもしれません。
そして100年以上たった今も、私たちは時々、
「本当は言いたかったのに、言えなかった」
という経験をします。
時代が変わっても、人の心の中には、
「周囲に合わせたい気持ち」と
「自分の思いを伝えたい気持ち」
の両方があります。
もしあとになって、
「言えなかったのが悔しい」
と思ったとしたら、
その気持ちを少し丁寧に見てみる。
そこにはきっと、
「私は、本当はこう思っていた」という、
自分自身の大切な声が隠れているのだと思います。
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