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<title>『放蕩無頼』という言葉から考えた――親の生き方は、子どもの心に何を残すのか（朝ドラをヒントに）</title>
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昨日、NHKの朝ドラ『ブラッサム』を見ていて、「放蕩無頼」という言葉が出てきた。普段あまり耳にしない言葉なので、気になって調べてみた。「放蕩」とは、酒や遊びなどにふけり、生活を顧みないこと。
「無頼」とは、決まった生き方や社会の規範に縛られず、素行も安定しないような様子を表す言葉である。『ブラッサム』の主人公のモデルとなった作家・宇野千代の父親も、かなり自由奔放な人物だったようだ。宇野千代の実父・宇野俊次は、岩国の酒造家の家に生まれながら定職に就かず、遊興や賭博などにお金を使い、家族には厳しく接していたことが伝えられている。私は、この話を見ながら、少し違うことを考えていた。このような親のもとで育った子どもは、どのように周囲を見るようになるのだろうか。心理学では、子どもは親から言葉だけを学ぶのではなく、親の表情、行動、感情の変化、家の中の空気など、さまざまなものから人との関わり方を学んでいく。行動科学には「観察学習」という考え方がある。人は、自分が直接経験したことだけで行動を覚えるのではない。
周囲の人がどのように行動しているかを見ながら、「こういうときには、こうするものなのだ」と学習していく。子どもにとって、一番身近なモデルの一つが親である。親が穏やかに人と関わる家庭で育てば、穏やかな人間関係を目にする機会が増える。一方で、親の感情が大きく変化したり、いつ怒られるかわからなかったり、家庭の中で安心できる時間が少なかったりすると、子どもは周囲を細かく観察するようになることがある。「今日は機嫌がいいかな」「これを言ったら怒られるかな」「今は話しかけても大丈夫かな」そうやって、人の表情や声の調子を敏感に読み取る力が身についていく。これは、その環境の中で自分を守るために身につけた力とも考えられる。ところが、大人になって環境が変わっても、その習慣が残ることがある。相手の顔色が少し曇っただけで気になる。
誰かが不機嫌だと、「自分が何かしたのでは」と考える。
自分の気持ちより、相手の気持ちを優先する。幼いころに必要だった行動が、大人になってからも自動的に続いているのである。もう一つ興味深いのは、同じような家庭で育っても、その後の人生は一人ひとり違うということである。ある人は親と似た行動を選ぶ。
ある人は、「自分はこういう生き方をしたくない」と反対の生き方を選ぶ。
そして、自分の経験を仕事や表現、生きる力へ変えていく人もいる。宇野千代が実際に父親からどのような心理的影響を受けたのかを、後世の私たちが簡単に決めることはできない。ただ、彼女がその後、作家となり、自分の人生を自分の言葉で表現し続けたことはとても興味深い。生涯で何度も環境を変え、小説を書き、雑誌をつくり、着物のデザインにも取り組んだ。近年の資料でも、その98年の人生は「逆境をバネに、自らの手で運命を切り拓いた」と紹介されている。人は、育った環境だけで人生が決まるわけではない。私たちは成長する中で、新しい人と出会い、新しい経験をし、自分なりの考え方を身につけていく。そしてあるとき、「なぜ私は、人の顔色をこんなに気にするのだろう」「なぜ私は、いつも自分より相手を優先するのだろう」と、自分の行動のパターンに気づくことがある。その「気づき」が、自分のこれからを選び直す第一歩になる。昨日、朝ドラで耳にした「放蕩無頼」という一つの言葉。その言葉から、私は、親がどんな人だったかということ以上に、自分がその環境の中で何を感じ、何を身につけてきたのかを知ることが大切なのだと改めて感じた。過去を変えることはできない。けれど、自分の心のクセに気づくことで、これからの生き方は少しずつ選んでいくことができる。朝ドラを見ながら、そんなことを考えた。※ご相談はこちらから
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<link>https://kokoro-care-seidai.com/blog/detail/20261002072949/</link>
<pubDate>Fri, 02 Oct 2026 07:44:00 +0900</pubDate>
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<title>【私の人生を心理学で振り返る⑨】「体の小さい子は無理」と言われた私 ― 初めて鳴ったトランペットが教えてくれたこと（自分の体験談より）</title>
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<![CDATA[
小学校6年生の頃のことです。PTAバザーで集まったお金をもとに、学校が15台のトランペットを購入しました。そして、運動会に向けて、トランペット鼓隊が作られることになりました。音楽が好きだった私は、その話を聞いて、「僕もやってみたい」と思いました。ところが、担任の先生はこう言いました。「肺活量がいるから、体の小さい子は無理だよ。」当時の私は身長が低く、朝礼ではいつも一番前でした。その言葉を聞いて、私はあきらめました。結局、選ばれたのは、身長の高い子や、体つきのしっかりした子たちでした。しかも、全員男子でした。今振り返ると、とても不思議に思います。トランペットは、体が小さいと吹けないわけではありません。女子には向かない楽器でもありません。実際、そんなことはまったくありませんでした。大人の「思い込み」が、子どもの可能性を止めてしまうことがあるこの出来事を今、心理学の視点から振り返ると、まず感じるのは、大人の側の思い込みの強さです。「肺活量が必要だから、大きい子の方が向いている」「小さい子には無理」「男子の方がよさそう」先生方の中には、そんな前提があったのでしょう。人は、自分の中にある思い込みを、あまり疑わずに判断してしまうことがあります。心理学では、こうした見方を、先入観や固定的な見方として考えることができます。問題なのは、その判断が、実際にやらせてみた結果ではなく、やる前から可能性を決めてしまっていたことです。私は、「吹いてみたい」と思っていました。でも、その気持ちは、試す前に閉ざされてしまいました。「やってみたい」と思っていたのに、あきらめた子どもにとって、大人から言われる言葉はとても大きいものです。「無理だよ」と言われれば、「そうなんだ」と思ってしまいやすい。特に先生のような立場の人から言われると、その言葉は事実のように感じられます。私も、そのときは反論しませんでした。「そんなことない」とは言えませんでした。ただ、あきらめました。今振り返ると、このときの私は、本当は悔しかったのだと思います。やってみたい。でも、やらせてもらえない。その悔しさを表に出すこともなく、私は気持ちを引っ込めました。これまでの回でも書いてきたように、私は人の目や周囲の空気を気にしやすい子どもでした。だからこそ、先生にそう言われた時点で、「自分はトランペット鼓隊入れないんだ」と受け止めてしまったのかもしれません。H君の家で、初めてトランペットを手にしたそんなある日、クラスで仲のよかったH君の家に遊びに行きました。H君は、クラスで一番身長が高く、体もがっちりしていました。まさに、先生たちが「向いている」と考えたタイプの子だったのでしょう。そのH君が、学校のトランペットを家に持ち帰って、練習していました。私は初めて、間近でトランペットを見ました。ギラギラと光っていて、本当にかっこよかったのを覚えています。するとH君が、「吹いてみる？」と言ってくれました。私は、「いいの？」と思いながら、教えてもらった通りに楽器を持ち、吹いてみました。すると、一発で音が出たのです。一発で音が出たとき、いちばん驚いたのは自分だったH君は、とても驚いていました。でも、それ以上に驚いていたのは、私自身だったと思います。なぜなら私は、担任から「体の小さい子は無理だよ」と言われていたからです。その言葉を、どこかで信じていたのです。ところが、実際に吹いてみたら、音が出た。その瞬間、「できるじゃないか」という感覚が生まれました。心理学では、自己効力感という考え方があります。「自分にもできそうだ」
「やればできるかもしれない」という感覚です。この自己効力感は、実際に自分でやってみて成功したときに、強く育ちやすいと言われています。私にとって、「一発で音が出た」という体験は、まさにそういう出来事でした。それまで大人の言葉によって閉ざされていた可能性が、その瞬間に少し開いたのです。思い込みは、子どもの自己イメージにも影響するもしあの日、H君の家でトランペットを吹かなかったら、私はずっと、「自分には無理だったんだ」と思い続けていたかもしれません。実際には吹けたのに、試さなかったことで、「向いていない子」という自己イメージを持ってしまうこともあります。これはとても大きなことです。子どもは、大人からどう見られるかによって、「自分はこういう子なのかもしれない」と考えることがあります。できるかどうかは、本当はやってみなければ分かりません。でも、大人の思い込みや評価が先に入ると、その子の自己イメージまで形作ってしまうことがあります。だからこそ、大人の言葉には慎重さが必要なのだと思います。H君が伝えてくれたこと翌日、H君は担任の先生に、「高橋君が一発で音が出たんだ」と話してくれました。そして、「高橋君もトランペット鼓隊に入れてあげてください」と頼んでくれました。これは、とてもありがたいことだったと思います。友だちが、自分のことを認めてくれて、代わりに声を上げてくれた。子どもにとって、こういう存在はとても大きいものです。自分一人では言えなくても、「この子はできるよ」と伝えてくれる人がいる。それだけで救われることがあります。結局、もう15人が決まっていたため、私はトランペット鼓隊には入れませんでした。でも、この出来事は私の中に強く残りました。悔しさが、次の決意につながった鼓隊には入れなかった。それは悔しかったです。でも、その悔しさは、ただ傷として残っただけではありませんでした。私はそのとき、「中学に入ったら、絶対に吹奏楽部でトランペットをやろう」と強く思いました。これも大切なことだと思います。人生の中には、思い通りにならなかった経験があります。理不尽なこともあります。大人の勝手な判断で道を閉ざされることもあります。でも、その出来事が、「それでもやってみたい」という気持ちを強くすることもあります。私にとって、この出来事はまさにそうでした。小学校ではかなわなかった。だからこそ、中学校では自分で選びたい。この思いが、その後の吹奏楽部でのトランペットにつながっていきました。子どもの可能性は、やらせてみないと分からない今、教育や子どもの成長を考える立場で振り返ると、改めて思います。子どもの可能性は、大人が先に決めるものではありません。体が小さいから無理。男の子だから、女の子だから。向いていそう、向いていなさそう。そうした見方は、とても危ういものです。本当は、その子自身がやってみたときに、初めて見えてくるものがあります。得意かどうか。好きかどうか。続けたいかどうか。その入口に立つチャンスを、大人の思い込みで奪ってはいけないのだと思います。今なら、あの頃の自分にこう言いたいあのときの小学校6年生の自分に、今ならこう言いたいです。「吹いてみたいと思った気持ちは、本物だったね」「先生に無理だと言われても、本当は無理じゃなかったんだよ」「一発で音が出たのは、あなたの中に力があったからだよ」そして、こうも伝えたいです。「たとえそのとき選ばれなくても、その悔しさが次につながることもあるんだよ」あのときの思いがあったからこそ、私は中学でトランペットを始めようと強く思えたのだと思います。あなたの人生も、心理学の視点から振り返ることができます私たちは今でも、「自分には向いていない」
「どうせ無理だ」
「やってもだめかもしれない」と思ってしまうことがあります。でも、その考えは、本当に自分自身のものなのでしょうか。もしかしたら、昔誰かに言われた言葉が、そのまま残っているのかもしれません。子どもの頃、どんな言葉を受け取ったのか。どんな可能性を止められたのか。逆に、どんな小さな成功体験が自分を動かしたのか。そうしたことを振り返っていくと、「本当は自分にもできることがあったのかもしれない」と見えてくることがあります。私のカウンセリングでも、ご自身の生い立ちから現在までを一緒に振り返りながら、心理学や行動心理学などの視点を取り入れて、今の人間関係や生きづらさとのつながりを整理していくことができます。あなたの人生も、心理学の視点から振り返ってみませんか。自分のこれまでを知ることは、これからの自分を知ることにもつながります。※ご相談はこちらから
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<link>https://kokoro-care-seidai.com/blog/detail/20261001081522/</link>
<pubDate>Thu, 01 Oct 2026 08:27:00 +0900</pubDate>
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<title>「やっぱり、あの人は私のことが嫌いなんだ」― 確証バイアスという心のしくみ</title>
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職場で、こんなことがあったとします。朝、同僚に「おはようございます」と声をかけたのに、返事がありませんでした。「あれ？聞こえなかったのかな」最初はそう思っていたのですが、だんだん気になってきます。「もしかして、私のことを嫌っているのかな」一度そう思い始めると、その人の行動が気になります。廊下ですれ違ったとき、目が合わなかった。休憩時間に、自分には話しかけてこなかった。仕事を頼んだとき、返事が少しそっけなかった。そして、「やっぱり、私のことが嫌いなんだ」という思いが強くなっていきます。自分の考えに合う情報を集めてしまう心理学には、「確証バイアス」という言葉があります。人は一度「こうかもしれない」と考えると、その考えを裏づける情報に目が向きやすくなる傾向があります。先ほどの例なら、「目が合わなかった」
「話しかけてこなかった」
「返事がそっけなかった」といったことが、「嫌われている証拠」のように感じられてきます。一方で、昨日は普通に話していた。仕事を手伝ってくれたこともある。他の人にも今日はあまり話しかけていない。そんな情報には、気づきにくくなることがあります。実際には、その人は朝から忙しかったのかもしれません。何か心配事があったのかもしれません。最初のあいさつも、本当に聞こえていなかったのかもしれません。「そう見えているだけかも」と考えてみる確証バイアスは、誰にでも起こりうる心の働きです。特に人間関係では、「あの人は私を嫌っている」「上司は私を評価していない」「あの人は冷たい人だ」といった思いを持つと、それに合う出来事ばかりが目に入りやすくなります。そんなとき、私は一つの問いを持つことが大切だと思います。「ほかの見方はないだろうか？」「嫌われている」と感じたら、「忙しかった可能性は？」「たまたまだった可能性は？」「私が見落としていることはないかな？」と少しだけ視点を広げてみる。それだけでも、心の中で固まりかけていた相手への見方が少し柔らかくなります。人間関係で苦しくなったときほど、目の前に見えていることだけで答えを決めず、「私は今、自分の考えに合うものばかりを見ていないかな？」と自分に問いかけてみる。その小さな問いが、人間関係を少し違った角度から見るきっかけになるかもしれません。※ご相談はこちらから
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<link>https://kokoro-care-seidai.com/blog/detail/20260930074906/</link>
<pubDate>Wed, 30 Sep 2026 07:55:00 +0900</pubDate>
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<title>【私の人生を心理学で振り返る⑧・パート2】理由を聞いてほしかった ― 朝4時まで描いた絵と、聞いてもらえなかった理由（自分の体験談より）</title>
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中学1年生のとき、校内写生大会がありました。一日の授業を使って、校内やその周辺で絵を描く行事です。私は音楽が好きでしたが、絵を描くことも好きでした。母も、絵や歌が得意な人でした。後に兄は美術大学へ、私は音楽大学へ進むことになります。振り返ってみると、芸術的なことが好きな家庭だったのだと思います。その写生大会で、私は神社を描きました。どうしても、古びた色が出せなかった私が苦労したのは、神社の古びた感じをどう表現するかでした。新しい木のような色ではない。長い年月、雨や風にさらされてきたような色。自分の頭の中には、「こんな感じにしたい」というイメージがありました。ところが、なかなかその色が作れません。色を混ぜてみる。塗ってみる。「違うな」と思う。また色を作る。そんなことを繰り返しているうちに、6校時が終わりました。絵は完成しませんでした。その日の課題は、家に持ち帰って仕上げることになりました。家に帰って、すぐに続きを描いた私は家に帰ると、すぐに絵の続きを始めました。どうしても納得できる色にしたかったのです。ところが、家でもなかなか思うような色が出ません。気がつけば夜になり、さらに時間が過ぎ、とうとう明け方の4時になっていました。それでも完成しませんでした。眠気に耐えられなくなり、私はその場で眠ってしまいました。そして、ハッと目が覚めたときには、もう学校へ行く時間になっていました。私は焦りました。「完成していない」前日の帰りの会で、担任が言っていた言葉を思い出しました。「全員、完成させて提出すること」私は、「どうしよう」と思いました。「ここに書けば、きっと分かってもらえる」そこで私は、画用紙の裏に自分の名前を書きました。そして、その名前の横に、「なかなか気に入った色が出せずに、朝4時までやったのですが、完成しませんでした」という内容を書き添えました。名前のすぐ横です。提出すれば、先生は必ず見る。そう思いました。「ここに書いておけば、きっと分かってくれる」そんな気持ちだったのだと思います。私は、何もしなかったわけではありません。むしろ朝4時まで描いていました。自分なりに、理由をきちんと伝えようとしたのです。1時間目、突然上から怒鳴られた絵を提出したその日。1時間目は体育でした。私は校庭へ出ようとしていました。すると突然、2階にある職員室のベランダから担任の声がしました。「なんで終わってないんだ！」大きな声でした。私は驚きました。周りにはほかの生徒もいました。先生は上から私に向かって怒鳴っています。私は、「名前の横にも書いたんですけど、朝4時までやって……」と説明しようとしました。でも、最後まで話すことはできませんでした。先生は私の言葉を遮って、「完成してないのは、お前だけだぞ！」と、さらに強い声で言いました。「また、理由を聞いてくれない」その瞬間、私の中にいろいろな思いが一気に出てきました。「この人は何を言ってもダメなんだ」「理由を聞こうともしない」「朝4時までやったのに」そして、もう一つ。「またビンタされるのかな」そう思いました。少し前、私は朝練が長引いて朝の会に遅れたときにも、理由を説明する前に叱られ、ビンタされていました。あのときも、「部活が……」と言いかけたところで、最後まで話を聞いてもらえませんでした。今回も同じでした。理由を伝えようとする。でも、最後まで聞いてもらえない。前回の記憶が一気によみがえったのだと思います。一度怖い経験をすると、「次も起きるかもしれない」と身構える心理学では、一度強い恐怖を経験すると、その後、似たような状況に出会ったときに、「また同じことが起きるかもしれない」と身構えることがあります。今回の私は、先生の大きな声を聞いた瞬間、「またビンタされるかもしれない」と考えました。実際にその場で叩かれたわけではありません。それでも、以前の経験があるため、身体や心はすぐに危険を予測します。これは、過去の経験をもとに自分を守ろうとする、ごく自然な働きとして考えることができます。先生の声。怒った表情。自分の説明を遮られること。そうしたものが、前回の怖い経験と結びついていたのでしょう。人前で怒鳴られると、「内容」より「恥ずかしさ」が残ることがある今回もう一つ大きかったのは、みんながいるところで怒鳴られたことです。「完成していないのは、お前だけだぞ」この言葉には、「みんなはできている」「できていないのは自分だけ」という比較も含まれています。子どもにとって、みんなの前で強く叱られることは、単に注意を受ける以上の意味を持つことがあります。「みんなに見られている」「自分だけできなかった」「恥ずかしい」という気持ちが強くなるからです。心理学では、他者からどう評価されているかを強く意識することを、社会的評価への不安として考えることがあります。もともと人の目を気にしやすかった私にとって、「お前だけだぞ」という言葉は、かなり重かったのだと思います。朝4時まで描いたことより、「完成していない」という結果だけを見られた今振り返って、一番悲しかったのはここかもしれません。私は朝4時まで描いていました。適当にやったわけではありません。むしろ、「もっといい色にしたい」と思って粘り続けていました。今の私が当時の自分を見ると、そこにはこだわりの強さや、納得できるものを作りたいという気持ちもあったように思います。心理学的には、これは高い基準を持つことや、完璧に近づけたい気持ちとも関係します。その性質は、作品を丁寧に作る力にもなります。一方で、「納得できるまで終われない」となると、自分を追い込みやすくなることもあります。朝4時まで続けてしまった私には、「中途半端なものを出したくない」という思いもあったのかもしれません。しかし先生が見たのは、「完成していない」という結果でした。私がどれだけ時間をかけたか。なぜ終わらなかったのか。そこにどんな思いがあったのか。それを説明する機会はありませんでした。「何を言ってもダメなんだ」という学習前回の朝練の出来事では、「言っても、どうせ聞いてもらえない」という気持ちが残りました。そして今回も、理由を伝えようとしても聞いてもらえなかった。同じような経験が重なると、「説明しても意味がない」「言っても怒られる」「黙っていた方がいい」という考えが強くなることがあります。心理学では、こうした経験が続くと、自分が何をしても状況を変えられないという感覚につながる場合があります。これは、学習性無力感に近い心の動きとして考えることもできます。もちろん、当時の私がそうだったと断定することはできません。ただ、「この人には何を言ってもダメなんだ」と感じたことは、今でもよく覚えています。これは、自分の言葉で状況を変えられるという感覚が失われていく経験だったのかもしれません。「理由を聞いてほしかった」という思いは、今回も同じだった前回の朝練のときも、今回の写生大会のときも、私が求めていたのは、特別扱いではありませんでした。「仕方ないね」と言ってほしかったわけでもありません。ただ、「どうしたの？」「なぜ終わらなかったの？」と、最初に聞いてほしかった。それだけだったのだと思います。理由を話す。相手が聞く。そのうえで注意されるのであれば、受け止め方も違ったでしょう。でも、話す前に結論を決められる。それが私には、とてもつらかったのです。大人には「未完成」に見えても、子どもの中には過程がある今、子どもを見る立場になって思うことがあります。宿題が終わっていない。提出物が出ていない。遅刻した。忘れ物をした。大人から見ると、結果だけが目につきます。でも、その結果に至るまでには、その子なりの過程があります。一生懸命やったけれど、できなかったのかもしれない。分からなくて止まってしまったのかもしれない。失敗するのが怖くて進めなかったのかもしれない。誰かに助けを求められなかったのかもしれない。私の場合は、朝4時まで描いても、納得できる色が作れなかった。そこに理由がありました。結果を見る前に、「何があったの？」と聞く。その一言には、大きな意味があると今は思います。今なら、あの頃の自分にこう言いたい神社の絵を前にして、朝4時まで色を作っていた中学1年生の自分。私は今なら、こう言いたいです。「よくそこまで描いたね」「完成できなかったことより、そこまで頑張ったことも大事だよ」「ちゃんと理由を書いたんだね」そして、「あなたには、説明する権利があったんだよ」と。当時の私は、「もうこんな担任はイヤだ」と思いました。それは、単なる反抗心ではなかったのだと思います。自分の気持ちや理由を受け止めてもらえないことへの、心からの悲しさだったのでしょう。あなたの人生も、心理学の視点から振り返ることができます今、「どうせ言っても分かってもらえない」と思ってしまう。相手が怒りそうだと、自分の説明を途中で諦める。人前で注意されることが必要以上に怖い。一生懸命やっていても、「できなかった自分」ばかり責めてしまう。そんな心の動きにも、過去の経験がつながっていることがあります。いつからそう感じるようになったのか。そのとき、何が起きていたのか。自分は本当は何を伝えたかったのか。人生を振り返っていくと、「だから私は、言葉を飲み込むようになったのかもしれない」と、自分を理解する手がかりが見えてくることがあります。私のカウンセリングでも、ご自身の生い立ちから現在までを一緒に振り返りながら、心理学や行動心理学などの視点を取り入れて、今の人間関係や生きづらさとのつながりを整理していくことができます。あなたの人生も、心理学の視点から振り返ってみませんか。自分のこれまでを知ることは、これからの自分を知ることにもつながります。※ご相談はこちらから
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<link>https://kokoro-care-seidai.com/blog/detail/20260929073448/</link>
<pubDate>Tue, 29 Sep 2026 07:54:00 +0900</pubDate>
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<title>「どうせ無理」が本当になってしまう？ ― 自己成就予言という心のしくみ</title>
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<![CDATA[
「どうせ、うまくいかない」「きっと嫌われている」「私は人前で話すのが苦手だから、今回も失敗する」そんなふうに思っていたら、本当にその通りになってしまった。こんな経験はないでしょうか。心理学には、「自己成就予言（じこじょうじゅよげん）」という言葉があります。簡単に言うと、「こうなるだろう」と思っていることが自分の行動に影響し、結果として、その予想に近いことが実際に起こりやすくなるという心のしくみです。「嫌われている」と思うと、どうなる？たとえば、職場に少し話しかけにくい人がいたとします。「もしかしたら、あの人は私のことが嫌いなのかもしれない」そう思い始めると、相手を見る目が変わってきます。自分から話しかける回数が減る。目を合わせることも少なくなる。相手が忙しそうにしているだけでも、「やっぱり私とは話したくないんだ」と感じる。すると相手も、「最近、あまり話しかけてこないな」「私と距離を取りたいのかな」と感じて、話しかける回数が減っていくかもしれません。やがて、本当に二人の間に距離ができてしまいます。そして、「やっぱり嫌われていたんだ」と思う。最初は自分の中にあった「嫌われているかもしれない」という予想が、自分の行動を変え、相手の反応にも影響し、結果として現実に近づいていく。これが自己成就予言の一つの例です。「どうせできない」も行動を変える自分自身に対しても、同じことが起こります。「私は人前で話すのが苦手」そう強く思っている人が、人前で話す機会を迎えたとします。「また失敗するかもしれない」「頭が真っ白になったらどうしよう」そう考えるほど緊張が高まり、声が小さくなったり、早口になったりします。終わったあとには、「やっぱり私は人前で話すのが苦手だ」という思いがさらに強くなります。すると次の機会には、もっと緊張する。こうして、「苦手だと思う」
↓
「緊張する」
↓
「うまくできない」
↓
「やっぱり苦手だと思う」という循環ができていきます。子どもを見る目にも影響する私は長く学校現場で子どもたちと関わってきました。教育の場でも、この自己成就予言について考えさせられることがあります。たとえば、「この子は落ち着きがない」「この子はやる気がない」「この子は勉強が苦手だ」大人がそう思っていると、知らないうちに、その見方に合った行動が目に入りやすくなることがあります。一方で、「この子には、まだ見えていない力がある」「この子なりの理由があるのかもしれない」「少しずつ伸びているところはどこだろう」そんな視点を持つと、同じ子どもを見ていても、気づくことが変わってきます。そして、大人の声のかけ方や接し方も変わってきます。「ここまでできたね」「前より少し進んだね」「あなたなら、ここからできそうだね」こうした関わりを重ねることで、子ども自身の「やってみようかな」「自分にもできるかもしれない」という気持ちにつながることがあります。教育心理学でよく知られている「ピグマリオン効果」も、教師の期待と子どもの変化を考えるうえで関連の深い考え方です。自分にかけている「予言」に気づいてみる私たちは毎日の中で、知らないうちに自分へたくさんの言葉をかけています。「どうせ私には無理」「また失敗する」「きっと嫌われる」「私はこういう人間だから」こうした言葉を繰り返していると、その言葉に合う行動を選びやすくなります。そこで、ときどき自分に問いかけてみます。「私は今、自分にどんな予言をしているだろう？」もし、「どうせ無理」と思っていたら、「まず一つだけやってみよう」「また失敗する」と思っていたら、「前回より一つできればいい」「きっと嫌われる」と思っていたら、「相手がどう思っているかは、まだわからない」そんな言葉に少し置き換えてみる。言葉が変わると、次に選ぶ行動が少し変わります。行動が変わると、その先に起こることも少しずつ変わっていきます。今日、自分にどんな言葉をかけますか？自己成就予言という言葉を知ると、普段、自分が何気なく使っている言葉にも気づくようになります。自分に対して。家族に対して。職場の人に対して。そして、子どもに対して。「この人はこういう人」「私はこういう人」そう決めた瞬間から、その見方に沿って行動していることがあります。だからこそ、ときどき心の中の言葉を見直してみる。「私は今、どんな未来を予想しているだろう」そしてもう一つ。「その予想は、私の行動にどんな影響を与えているだろう」自分の心の中にある小さな「予言」に気づくこと。そこから、これまでとは少し違う行動が始まるのかもしれません。※ご相談はこちらから
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<link>https://kokoro-care-seidai.com/blog/detail/20260928170725/</link>
<pubDate>Mon, 28 Sep 2026 17:16:00 +0900</pubDate>
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<title>【私の人生を心理学で振り返る⑧】理由を聞いてほしかった ― 話す前に叱られた中学生の私（自分の体験談より）</title>
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<![CDATA[
中学1年生の頃のことです。その朝、私は部活動の朝練に参加していました。いつもなら、朝の会に間に合う時間には終わります。ところが、その日に限って、朝練がなかなか終わりませんでした。私は何度も時計を気にしていました。「朝の会に遅れてしまう」そう思いながらも、自分だけ先に抜けることもできず、部活動が終わるのを待っていました。ようやく朝練が終わり、私は急いで教室へ向かいました。教室に入ると、すでに朝の会が始まっていました。私は先生に理由を伝えようとしました。「部活が……」そう言いかけた、そのときでした。理由を話す前に、ビンタされた先生は、私の話を最後まで聞きませんでした。そして、私はビンタされました。突然のことでした。何が起きたのか、すぐには理解できなかったのだと思います。もちろん、頬も痛かった。でも、今振り返ると、それ以上に心の方が痛かったように思います。「どうして？」「まだ何も話していないのに」「僕には理由があるのに」そんな思いがあったはずです。けれど、その場では何も言えませんでした。「言わなかった」のではなく、「言えなくなった」ここを、今の私はとても大切なことだと感じています。私は、自分の理由を隠そうとしたわけではありません。説明したくなかったわけでもありません。むしろ、教室に入ったときには、「朝練が長引いたんです」と伝えようとしていました。でも、突然強い言葉を受け、さらに身体的な衝撃まで加わったことで、私は言葉を失いました。心理学では、強い恐怖や突然の衝撃を受けたとき、人は「戦う」「逃げる」だけでなく、身体や思考が固まるような反応を示すことがあります。いわゆるフリーズ反応です。頭では何か言いたい。でも言葉が出ない。身体も動かない。ただ、その場に立っているしかない。当時の私にも、それに近いことが起きていたのかもしれません。実際、私は「聞いてもらえる空気ではなかった」と感じ、ただその場に立っていました。遅刻したかったわけではなかった私は朝練をさぼったわけではありません。わざと朝の会に遅れたわけでもありません。ただ、朝練が長引いてしまった。それだけでした。だからこそ、「せめて理由を聞いてほしかった」という思いが残ったのだと思います。人は、自分の事情を理解してもらえたとき、「分かってもらえた」という安心を感じます。反対に、事情を聞かれる前に決めつけられると、「自分のことを分かってもらえなかった」という傷つきが残ることがあります。私にとってこの出来事は、叩かれたことだけがつらかったのではありません。自分の言葉を聞いてもらえなかったこと。そこにも大きな痛みがあったのだと思います。「言っても、どうせ聞いてもらえない」この出来事のあと、私の心の中には一つの思いが残りました。「言っても、どうせ聞いてもらえない」大きな声で泣き続けるような悲しさではありません。でも、心の奥に静かに残る思いでした。行動心理学の視点から見ると、ここはとても重要です。人は、自分の行動と、そのあとに起きたことを結びつけながら学んでいきます。私の場合は、理由を話そうとする
↓
話を聞いてもらえない
↓
強く叱られる
↓
怖い思いをするという経験になりました。こうした経験が心に残ると、その後、似たような場面で、「言っても無駄かもしれない」「言い訳だと思われるかもしれない」「黙っていた方がいいかもしれない」と考えやすくなることがあります。つまり、自分の気持ちを言わないことが、自分を守る方法になっていくのです。相手の表情を先に読むようになるこれまでこのシリーズで書いてきたように、小学校時代の私は、人の目や周囲の空気をかなり気にしていました。先生の顔。友達の表情。その場の雰囲気。「怒られないだろうか」「変に思われないだろうか」そんなことを気にする癖が、すでにありました。そこに今回の経験が加わりました。「理由を話す前に怒られることもある」そう学んでしまうと、ますます自分の言葉より、相手の表情や機嫌を先に見るようになります。話しても大丈夫そうか。今、言ったら怒られないか。黙っていた方が安全ではないか。こうして、自分の気持ちを伝える前に、相手を読むという行動が強くなっていった可能性があります。「自分の気持ち」より「相手の反応」が先になるこの経験は、その後の人間関係にもつながるところがあります。本当は言いたいことがある。理由もある。自分の考えもある。それでも、「こんなことを言ったら、相手はどう思うだろう」と考えてしまう。そして、言葉を飲み込む。心理学では、このように自分の内側よりも周囲の反応に注意が向きやすくなることがあります。私の場合、幼い頃から積み重なっていた「人の顔色を見る」という行動が、中学生になってさらに強くなっていったのかもしれません。子どもは、まず「聞いてもらえる」と感じることで話せる子どもは、理由を言おうとしていることがあります。でも、先に決めつけられると、言葉を飲み込んでしまうことがあります。「どうしたの？」「何があったの？」その一言で、話せる子もいます。これは、今でも私が大切だと思っていることです。子どもが何か問題を起こしたように見えるときでも、その行動の前には何かがあります。遅刻した。宿題を忘れた。黙っている。返事をしない。その表面だけを見ると、「どうしてそんなことをしたの」と言いたくなります。でも、その前に、「何があったの？」と聞くだけで、見えてくるものがあります。子どもは、聞いてもらえると感じたときに、初めて話せることがあります。今なら、あの頃の自分にこう言いたい教室に駆け込み、「部活が……」と言いかけた中学1年生の自分。今なら、その子にこう言ってあげたいと思います。「ちゃんと理由があったんだよね」「話そうとしていたんだよね」「まず、聞いてほしかったんだよね」あのとき欲しかったのは、大げさな慰めではなかったと思います。ほんの少し、自分の話を聞いてもらう時間。それだけだったのかもしれません。あなたの人生も、心理学の視点から振り返ることができます今、自分の気持ちを言うのが苦手。理由を説明する前に諦めてしまう。相手の機嫌を見てから話す。言いたいことを飲み込んでしまう。そんな心の動きにも、これまでの経験が関係していることがあります。いつから言いにくくなったのか。その頃、何があったのか。話そうとしたとき、周りの大人はどんな反応をしたのか。少しずつ振り返っていくと、「だから私は、あの場面で言葉が出なくなるのかもしれない」と、自分を理解する手がかりが見つかることがあります。私のカウンセリングでも、ご自身の生い立ちから現在までを一緒に振り返りながら、心理学や行動心理学などの視点を取り入れて、今の人間関係や生きづらさとのつながりを整理していくことができます。あなたの人生も、心理学の視点から振り返ってみませんか。自分のこれまでを知ることは、これからの自分を知ることにもつながります。

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<link>https://kokoro-care-seidai.com/blog/detail/20260927074414/</link>
<pubDate>Sun, 27 Sep 2026 07:56:00 +0900</pubDate>
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<title>１０月になると、なぜ少し気持ちが上向くのか――季節と行事が心に与える影響</title>
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10月になると、私は少し気持ちが上向きます。もちろん、これは私だけの感覚かもしれません。9月は、まだ暑さが残っていたり、雨の日が続いたり、台風が来たりして、なんとなく気持ちが落ち着かない時期です。ところが10月になると、朝晩の空気が少しひんやりして、空が高く感じられます。「秋になったな」そんな感覚とともに、気持ちも少し軽くなるように感じます。私にとって10月には、昔から「晴れ」のイメージがあります。以前は10月10日が「体育の日」でした。1964年の東京オリンピックの開会式が10月10日に行われたことを記念して設けられた祝日で、現在は10月の第2月曜日の「スポーツの日」になっています。運動会、青空、スポーツ、秋晴れ。こうした記憶も重なって、私の中には「10月＝明るい季節」という印象が残っているのかもしれません。では、季節や月によって気持ちが変わるということは、本当にあるのでしょうか。心理学や脳科学の研究から見ると、私たちの心は、季節の影響を思っている以上に受けています。日光は、私たちの「心の時計」を整えている人間の体には、約24時間のリズムがあります。これを「概日リズム」、いわゆる体内時計と呼びます。朝に明るい光を浴び、夜になると暗くなる。この光と暗さの変化を手がかりに、脳は睡眠や覚醒、ホルモン分泌などを調整しています。特に季節が進み、昼の時間が短くなると、このリズムにも影響が出ます。季節による日照時間の変化が、睡眠や気分と関係していることは多くの研究で指摘されています。つまり、「秋になるとなぜか少し寂しい」「冬になると朝起きるのがつらい」「春になると少し活動的になる」という感覚には、光と脳の働きも関係しているのです。10月は「動きやすい季節」でもある10月は真夏ほど暑くなく、真冬ほど寒くありません。外に出たり、歩いたり、スポーツをしたりするには比較的過ごしやすい時期です。外出が増える。人と会う。景色を見る。体を動かす。こうした行動が増えると、気分にも変化が起こります。心理学では、気分がよくなるのを待ってから動くというより、先に少し行動することで気分が変化していくことがあります。散歩をしてみる。外でコーヒーを飲む。公園へ行く。秋祭りへ出かける。こうした小さな行動が、心に刺激を与えてくれます。10月の過ごしやすさは、自然と私たちを外へ向かわせてくれるのかもしれません。行事には「心のスイッチ」のような働きがあるそしてもう一つ大きいのが、行事です。10月には運動会やスポーツイベント、秋祭りなどがあります。11月3日は文化の日です。文化の日は「自由と平和を愛し、文化をすすめる」日として定められています。地域によっては文化祭、美術展、音楽会、発表会、菊花展、地域のお祭りなども開かれます。こうした行事には、「もうすぐ○○がある」という楽しみが生まれます。実は、人は楽しい出来事そのものだけでなく、「楽しみに待っている時間」からも心が動きます。旅行の日を待つ。コンサートを待つ。お祭りを待つ。友人に会う日を待つ。未来に小さな楽しみがあると、心は少し先を向き始めます。私は、10月から11月前半に気持ちが少し上向く理由の一つに、この「先に楽しみがある感覚」もあるように思います。そして11月後半になると、少し景色が変わるところが11月後半になると、雰囲気が少し変わってきます。木々の葉が落ち始める。夕方になると、あっという間に暗くなる。朝晩の寒さも増してきます。日の長さが短くなるにつれて、私たちの体内時計や睡眠にも影響が生じます。冬に気分が落ち込みやすくなる「季節性」の研究でも、日照時間の減少、概日リズム、メラトニンなどとの関係が長く研究されています。もちろん、誰もが冬になると気分が落ち込むわけではありません。それでも、「なんとなく寂しい」「夕方になると少し心細い」「以前より外へ出るのがおっくう」と感じる人が増える時期ではあります。ここには日照時間だけでなく、秋の終わりを感じさせる景色も影響しているのでしょう。葉が落ちていく木々。早く沈む夕日。冷たい風。私たちは、そうした景色からも季節を感じ取っています。季節には「思い出」も一緒についてくるさらに興味深いのは、季節と記憶との関係です。たとえば、金木犀の香りをかぐと、学生時代を思い出す。夕方の冷たい風を感じると、子どもの頃の帰り道を思い出す。クリスマスの音楽を聞くと、昔の家族との時間を思い出す。こうした経験は、多くの人にあると思います。脳は、出来事だけを単独で記憶しているわけではありません。そのときの匂い、音、景色、気温、感情なども一緒に記憶されています。だから季節が巡ってくると、その季節に結びついた記憶や感情まで一緒に戻ってくることがあります。「なぜかわからないけれど、この季節になると懐かしい」という感覚にも、こうした記憶の働きが関係しています。12月になると、心は一気に「年末モード」へそして12月。ここまで来ると、季節というより社会全体の空気が変わります。クリスマス。仕事納め。大掃除。年賀状。買い物。帰省。お正月の準備。特にクリスマスの1週間ほど前から、街の雰囲気も大きく変わります。そして12月25日を過ぎると、今度は一気にお正月へ向かいます。スーパーの商品も変わる。テレビ番組も変わる。街の飾りも変わる。周囲の人たちの会話も、「今年もあと少しですね」というものが増えてきます。人間は周囲の雰囲気から強い影響を受けます。自分自身はそれほど急いでいなくても、周囲が慌ただしくなると、なんとなく自分まで急いでいるような気持ちになることがあります。そして、「今年は何をしただろう」「やり残したことはないだろうか」「来年はどうしよう」と、自分の一年を振り返る時期にもなります。12月は、過去を振り返る気持ちと、未来を考える気持ちが同時に動く、少し不思議な月なのかもしれません。私たちの心には「季節のリズム」があるこうして考えてみると、私たちの気持ちは、自分の意思だけで動いているわけではないようです。光。気温。日の長さ。空の色。植物の変化。匂い。行事。街の雰囲気。そして、それまでの人生で積み重ねてきた思い出。いろいろなものが重なり合いながら、その時期の心をつくっています。だから、「最近、少し気分が落ちているな」と感じたとき、自分の心の中だけに理由を探さなくてもよいのだと思います。「そうか。日が短くなってきたからかもしれない」「今年も秋が深まってきたからかな」そんなふうに季節との関係から眺めてみると、自分の心を少し離れたところから見ることができます。反対に、「今日は気持ちがいいな」と思ったときも、青い空を見上げたり、秋の風を感じたり、外を少し歩いたりして、その季節からもらっている心地よさを味わってみる。これも、自分の心を整える一つの方法なのだと思います。今年も、あと3か月。10月、11月、12月と、同じ秋や冬の中でも心の感じ方は少しずつ変わっていきます。その変化に気づきながら、「今、自分の心はどんな季節にいるのだろう」と、ときどき眺めてみる。季節に合わせて服を替えるように、心の過ごし方も、季節に合わせて少しずつ変えていく。そんな過ごし方があってもよいのではないでしょうか。※ご相談はこちらから
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<link>https://kokoro-care-seidai.com/blog/detail/20260926132826/</link>
<pubDate>Sat, 26 Sep 2026 13:38:00 +0900</pubDate>
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<title>【私の人生を心理学で振り返る⑦】「お前がやれ」と言われて断れなかった私 ― 小6で人前に立つことが怖くなった日々（自分の体験談より）</title>
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小学校6年生の頃のことです。この頃の私は、クラスの空気に逆らうことがとても苦手でした。あるとき、図書委員長を決める場面がありました。そのとき、まわりから「お前がやれ」と言われました。私は、本当はやりたくありませんでした。人前に立つことは苦手でしたし、委員長のような役割が自分に向いているとも思っていませんでした。けれど、その場で断ることができませんでした。断れなかったのは、意志が弱かったからではない今振り返ると、この場面には私の当時の特徴がよく表れていたように思います。私は、相手の言葉だけでなく、その場の空気にも強く影響を受けていました。クラスの流れに逆らう。みんなの期待を外す。「なんでやらないんだ」と思われる。そうしたことを考えると、とても断れる状態ではなかったのです。心理学では、人は集団の中にいると、周囲の意見や雰囲気に合わせやすくなることがあります。これを同調の働きとして説明することがあります。特に、対人関係に敏感な子どもは、「自分が断ったら空気が悪くなるかもしれない」「嫌われるかもしれない」と感じやすくなります。私が断れなかったのも、単に意志が弱かったからではなく、その場の空気を強く受け取りすぎていたからなのだと思います。家に帰るまで、涙が止まらなかった図書委員長を引き受けることになってから、私の心は一気に重くなりました。人前で話す。全校の前に立つ。自己紹介をする。そう考えるだけで、気持ちは沈んでいきました。家に帰る道で、私は泣いていました。「明日は学校に行きたくない」「もう、消えてしまいたい」そんなことを思いながら歩いていたのを覚えています。それほど、私にとって人前に立つことは大きな恐怖だったのです。この頃の私は、まだ自分の気持ちを十分に整理できていませんでした。ただ、心の中では強い不安がふくらみ、その苦しさを抱えきれなくなっていたのでしょう。全校朝会の自己紹介が「失敗体験」になったそして、全校朝会の日が来ました。図書委員長として前に立ち、自己紹介をしました。今、その場面を細かく再現できるわけではありません。ただ、私の中には、「うまくできなかった」
「失敗した」という気持ちが強く残りました。人前で何かをするとき、緊張が強いと、頭の中は内容よりも「変に思われていないか」
「失敗していないか」
「みんなが見ている」ということでいっぱいになります。心理学では、こうした状態を評価不安として考えることができます。さらに、不安が強いと注意が自分自身に向きやすくなります。どう見えているか。声は震えていないか。変なことを言っていないか。このように自分ばかり気になる状態を、自己注目が強い状態として捉えることもできます。私も、まさにそうだったのだと思います。その結果、自己紹介そのものが、私の中では「人前に立って失敗した出来事」として刻まれました。失敗した記憶が、頭の中で何度もくり返された一度「失敗した」と感じると、その出来事はそこで終わりませんでした。何度も思い出す。「あのとき、ああ見られたかもしれない」と考える。「もっとこうすればよかった」と頭の中でくり返す。そんな状態が続いていきました。心理学では、こうして嫌な出来事を何度も頭の中でくり返してしまうことを、反すうと呼びます。反すうが強くなると、気持ちは切り替えにくくなります。勉強中にも思い出す。授業中にも気になる。次に何かさせられるのではないかと不安になる。すると、今やるべきことに心の力を向けにくくなります。私の場合も、自己紹介のあと、授業も、勉強も、
手につかなくなっていきました。「安心できない学校」は、学ぶ場所になりにくい子どもが落ち着いて学ぶためには、まずその場がある程度安全に感じられることが大切です。先生との関係。友達との関係。教室の空気。そのどれかが不安定だと、心はまず自分を守ることに力を使います。私にとって、この頃の学校は、安心して失敗できる場所ではありませんでした。間違えたくない。目立ちたくない。人前に立ちたくない。そんな気持ちが先に立っていました。すると、学ぶことそのものよりも、「どうすれば傷つかずにすむか」が大きなテーマになっていきます。これは行動心理学の視点から見ると、不安を避ける行動が強くなっていく流れとも言えます。人前に出るのを避けたい。目立たないようにしたい。失敗の可能性があることから離れたい。そうすると、その瞬間の苦しさは少し減ります。そのため、その行動はくり返されやすくなります。こうして私は、ますます「人前に立つこと」そのものが苦手になっていったのだと思います。担任の言葉は、母を通して私に伝わったその頃、担任の先生は母にこう伝えたそうです。「高橋くんは、中学校では特殊学級の方がいいかもしれません。」今の時代では使われ方が変わってきている言葉ですが、当時はそのように言われたのでしょう。この言葉は、私にとってとても重いものだったと思います。子どもにとって、先生の見立ては大きな意味を持ちます。それは単なる意見としてではなく、「自分はその程度の子なのか」
「普通にやっていけない子なのか」という受け取り方につながることがあります。心理学では、まわりから貼られた見方や言葉が、自分自身のイメージに影響することがあります。私はこの頃から、勉強の面でも、人前での面でも、自分に対する自信をさらに失っていったように思います。今振り返ると、HSC的な敏感さが強くあった今の私は、あの頃の自分を振り返ると、「ひといちばい敏感な子（HSC）」
の特徴をかなり強く持っていたように思います。周囲の表情や声の調子を細かく受け取る。空気の変化をすぐに感じる。人前で注目されると強く緊張する。一つの出来事を深く受け止め、長く引きずりやすい。こうした特徴は、弱さというよりも、生まれ持った感じ方の繊細さとして理解できます。ただ、その繊細さは、安心できる環境では思いやりや丁寧さとして育ちやすい一方で、緊張の強い環境では不安や自己否定につながりやすくなります。当時の私は、その敏感さを支えてもらうよりも、自分の中で抱え込むことが多かったのでしょう。家庭での孤独感も、心の土台に影響していたのかもしれないもう一つ、今だから考えることがあります。この頃、両親は共働きでした。私はそれまでの回にも書いてきたように、学校でも家でも、どこか落ち着かない感じを抱えていました。家に帰っても、すぐに安心して気持ちを話せるわけではない。学校には学校の緊張がある。家庭には家庭の孤独感がある。そうした積み重ねの中で、心の土台に安心感が育ちにくかった部分もあったのかもしれません。愛着の心理学では、子どもは安心できる相手との関係を通して、外の世界へ向かう力を育てていくと考えます。私の場合、その安心感が十分に満たされにくい中で、学校という緊張の場に立たされていたところがあったのでしょう。そのことが、人との関係で不安を感じやすいことや、相手の顔色を読みすぎることにつながっていた可能性があります。あの頃の私は、がんばりすぎるほどがんばっていた今の私は、小6の自分にこう言いたいです。「あなたは弱かったのではないよ」「あなたは、敏感な心で、精いっぱい毎日を生きていたんだよ」クラスの空気に逆らえなかったこと。人前に立つのが怖かったこと。失敗を何度も思い返してしまったこと。勉強に手がつかなくなったこと。それらは、当時の私が怠けていたからでも、根性がなかったからでもありません。心が強い緊張の中にいて、うまく身を守ろうとしていた反応だったのだと思います。あなたの人生も、心理学の視点から振り返ることができます今、人前に立つのが怖い。断りたいのに断れない。失敗をいつまでも引きずってしまう。相手の表情や空気に敏感すぎて疲れてしまう。そんな悩みがあるとしたら、その背景にはこれまでの経験が関係していることがあります。どんな場面で強い不安を感じるようになったのか。そのとき、まわりからどんな言葉を受け取ったのか。自分は何を守ろうとしていたのか。人生を振り返っていくと、今の自分を理解する手がかりが見えてきます。私のカウンセリングでも、ご自身の生い立ちから現在までを一緒に振り返りながら、心理学や行動心理学などの視点を取り入れて、今の人間関係や生きづらさとのつながりを整理していくことができます。あなたの人生も、心理学の視点から振り返ってみませんか。自分のこれまでを知ることは、これからの自分を知ることにもつながります。※ご相談はこちらから
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<link>https://kokoro-care-seidai.com/blog/detail/20260924081943/</link>
<pubDate>Thu, 24 Sep 2026 08:33:00 +0900</pubDate>
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<title>なぜ韓流ドラマは、つい続きを見てしまうのか？――心理学・脳科学から考えてみた</title>
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今日は祝日。いつもなら仕事があるので、朝早く起きる時間です。ところが、今日は休み。もう少しゆっくり寝ていてもよかったのですが、スマホの目覚ましをいつもの時間に設定したままにしていました。早朝、いつものように目覚ましが鳴りました。「もう少し寝ようかな」そう思いながら、なんとなくスマホを見ていました。するとTikTokに、韓流ドラマの映像が流れてきました。たまたま第3話の一部だったようです。少しだけ見るつもりでした。ところが、「これ、どういう話なんだろう？」と気になりました。そこで第1話を見てみました。すると第2話も見たくなりました。どうやら途中で「お気に入り」のようなところも押していたらしく、そのまま次々と見ていました。気がつくと、1時間ほど経っていました。起きる時間になったので、いったんスマホを置いて朝食を食べました。ところが、食べ終わってからも、「あの続き、どうなるんだろう？」と、なんとなくドラマが気になります。妻は韓流ドラマが好きで、よく見ています。私はそれを横で見ながら、「よくこんなに続けて見られるな」と思うこともありました。ところが今朝、自分が同じような状態になりました。そこで気になりました。なぜ韓流ドラマは、こんなにも続きを見たくなるのでしょうか。「続きが気になる」には理由がある心理学には「ツァイガルニク効果」と呼ばれるものがあります。これは、完了したことよりも、途中になっていることのほうが記憶に残りやすいという心理現象です。ドラマでは、これを感じる場面がたくさんあります。「この二人はどうなるの？」「なぜ、この人はこんな行動をしたの？」「この秘密が知られたらどうなるの？」そんなところで話が終わると、私たちの頭の中には「まだ終わっていないこと」が残ります。すると、続きが気になります。今朝の私も、まさにこの状態だったのかもしれません。第3話を途中から見たことで、「ここに至るまでに何があったんだろう？」という未完成の部分ができました。だから第1話に戻ってしまったのでしょう。「次はどうなる？」が脳を引きつけるもう一つ関係するのが、脳の「報酬系」です。私たちの脳は、うれしいことが起きた瞬間だけに反応するわけではありません。「次に何か起こりそうだ」「もう少し見れば分かりそうだ」という期待にも反応します。そこで関わってくるのがドーパミンです。ドラマを見ながら、「この二人は結ばれるのかな」「この問題は解決するのかな」「次に何が起こるんだろう」と期待する。そして、少し答えが分かる。すると、また新しい問題が出てくる。この繰り返しが「もう少しだけ見よう」という気持ちにつながります。韓流ドラマは感情がよく動く韓流ドラマには、恋愛、家族、友情、裏切り、葛藤、成功、挫折など、人の感情を動かす要素が多く描かれます。喜んだと思ったら、悲しい出来事が起こる。うまくいきそうになったら、思わぬ問題が起こる。嫌な人物だと思っていた人にも、実は事情があったことが分かる。こうした展開を見ていると、視聴者の感情も動きます。そして登場人物に感情移入していきます。「この人には幸せになってほしい」「この人の気持ち、分かるな」そう感じ始めると、その登場人物がどうなるのかを最後まで見届けたくなります。心理学では、物語の世界に引き込まれていくことを「ナラティブ・トランスポーテーション（物語への没入）」という考え方で説明することがあります。いつの間にか、画面の中の物語に心が入っていくのです。「あと1話」が続いてしまうそして現在は、スマホ一つで次の話を見ることができます。昔のテレビドラマなら、次の放送まで1週間待ちました。今は違います。「続きが気になる」と思った瞬間に、次を見ることができます。この環境も、ドラマを続けて見やすくしているのでしょう。今朝の私も、「第3話が面白そう」から始まり、「じゃあ第1話を見てみよう」「第2話も見てみよう」となりました。その間には、大きな区切りがありません。だから気がつけば1時間。これは韓流ドラマそのものの魅力に加えて、スマホで簡単に続きを見られる環境も関係しているのだと思います。心が動くから、また見たくなるこうして考えてみると、韓流ドラマに夢中になることには、いくつもの心理が関係していそうです。続きが気になる。次の展開を期待する。登場人物に感情移入する。喜んだり、悲しんだり、ハラハラしたりする。そして、すぐに次の話を見ることができる。これらが重なることで、「もう少しだけ」が続いていくのでしょう。今まで妻が韓流ドラマを見ている姿を何度も見てきました。今朝は、自分がその世界に少し足を踏み入れてしまいました。朝食を食べ終わった今も、やっぱり続きが気になっています。さて、このあとどうしましょう。今日は祝日。「もう1話だけ」この言葉が一番危ないのかもしれません。※ご相談はこちらから
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<link>https://kokoro-care-seidai.com/blog/detail/20260923070143/</link>
<pubDate>Wed, 23 Sep 2026 07:31:00 +0900</pubDate>
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<title>【私の人生を心理学で振り返る⑥】まちがえるのがこわい ― 答えより母の顔が気になった小学生の私（自分の体験談より）</title>
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小学校の頃、私は算数があまり得意ではありませんでした。ある日、算数のテストで、とても悪い点を取ってしまったことがあります。家に帰って、そのことを母に話しました。すると母は、「いっしょにやってみよう」と言ってくれました。最初は、私も少し安心したのだと思います。計算問題は、説明してもらうと少し分かりました。ところが、文章題になると、何が書いてあるのか、何を聞かれているのか、よく分かりませんでした。母は何度も説明してくれました。それでも、私は理解できませんでした。「お母さんは、学年で一番だったのよ」母は、よくこんなことを言っていました。「お母さんは、小学校のとき、学年で一番だったのよ」兄も、妹も、勉強は比較的できる方でした。その中で、私は自分だけ違うように感じていました。「どうして僕は分からないんだろう」そんな気持ちが、少しずつ大きくなっていきました。人は、周りの人と自分を比べながら、自分がどんな人間なのかを理解していくことがあります。心理学では、こうした比較を社会的比較と呼びます。家族の中で、「お母さんは勉強ができた」「兄も妹もできる」という情報があると、子どもは自然に、「では、自分はどうなんだろう」と考えます。私の場合、その比較が、「自分はできない方なのかもしれない」という感覚につながっていったのだと思います。だんだん、母の顔が気になってきた母は何度も説明してくれました。でも、私はなかなか分かりません。すると、少しずつ母の表情が変わっていきました。その変化を、私はよく覚えています。そして、しばらくすると母が、「こっちとこっち、どっちだと思う？」と聞きました。私は一生懸命考えました。でも、その頃には、問題そのものよりも、「間違えたら、どうなるんだろう」ということの方が気になっていました。答えを考える。母の顔を見る。また答えを考える。また母の顔を見る。だんだん、算数の問題よりも、母の表情の方が気になるようになっていきました。不安が強くなると、考える力も使いにくくなるこの状態は、今振り返るととても興味深いです。本来なら、文章題の意味を考えるために頭を使いたい。ところが私は、「怒られるかもしれない」「また間違えるかもしれない」ということにも注意を使っていました。心理学では、不安が強くなると、注意が「課題」よりも「脅威」に向きやすくなることがあります。つまり私の場合、問題文を読むことよりも、母の表情を読むことに、心のエネルギーを使っていたのかもしれません。すると、ますます問題を考える余裕が減ります。分からない。焦る。母の顔が気になる。さらに分からなくなる。そんな循環に入っていったのでしょう。「こっち……？」私は恐る恐る、「こっち……？」と答えました。小さな声だったと思います。すると母が、強い声で言いました。「バカ!!!!」私は、その場で、「そうなんだ。僕はバカなんだ」と思いました。今でも、その場面を覚えています。悲しかった。怖かった。情けなかった。そして、「どうしたら勉強ができるようになるんだろう」と思いました。でも、その答えは分かりませんでした。子どもは「できなかったこと」と「自分自身」を結びつけることがある大人から見れば、「この問題ができなかった」ことと、「その子自身の価値」は別のことです。でも、子どもはその二つを分けて考えるのが難しいことがあります。「問題が分からなかった」が、「僕は頭が悪い」になり、さらに、「僕はバカなんだ」という自己評価につながることがあります。心理学では、人は経験を積み重ねながら、「自分はこういう人間だ」という自己概念を作っていきます。特に、身近な大人から繰り返し受け取った言葉は、その自己概念に影響することがあります。私の場合、この一言が、「勉強ができない自分」というイメージを強める一つのきっかけになったのかもしれません。「まちがえないこと」が目的になっていくこのような経験が続くと、勉強の目的が変わっていくことがあります。「分かるようになりたい」よりも、「まちがえたくない」「怒られたくない」という気持ちが強くなっていくのです。行動心理学の視点から見ると、間違える
↓
怒られる
↓
怖い思いをするという経験が重なると、間違える可能性のある場面そのものを避けたくなることがあります。手を挙げない。難しい問題に挑戦しない。分からなくても質問しない。黙ってやり過ごす。そうすれば、その瞬間の怖さは少し減ります。すると、その行動は繰り返されやすくなります。これは前回の「目立たないようにする」と同じように、不安を避けるための行動が習慣になっていくという点で、行動心理学的に見ることができます。「できない」より、「こわい」が先にあった今振り返ると、私は単に算数ができなかっただけではなかったように思います。問題を前にしたとき、「また間違えるかもしれない」「怒られるかもしれない」という怖さが先に出ていたのです。怖い。焦る。考えられなくなる。間違える。自信をなくす。また怖くなる。こうして、勉強に対する苦手意識が強くなっていったのだと思います。ここには、前回書いた予期不安も関係しています。まだ間違えていないのに、「また失敗するかもしれない」と先のことを考えて、すでに緊張してしまう。その緊張が、さらに学習を難しくしていたのでしょう。失敗への反応は、その後の学び方にも影響する子どもが間違えたとき、「どこでつまずいたのかな」「ここまでは分かっているね」「別のやり方で考えてみよう」と関わってもらえると、失敗は学びの材料になります。一方で、「こんなことも分からないの？」「どうしてできないの？」という経験が続くと、子どもにとって失敗が、学ぶための経験よりも、自分を否定される経験になってしまうことがあります。そうなると、挑戦すること自体が怖くなります。心理学でいう自己効力感、つまり「自分ならやれそうだ」という感覚も育ちにくくなります。私自身、小学校時代は、「やればできる」という感覚より、「また間違えるかもしれない」という気持ちの方が強くなっていったように思います。母も、なんとか分からせようとしていたのだと思う今、大人になって当時を振り返ると、母にも母なりの思いがあったのでしょう。何とか分かるようになってほしい。勉強で困らないようになってほしい。そんな思いで、何度も説明してくれていたのだと思います。ただ、子どもの私は、その思いよりも、母の表情の変化や、強い言葉の方を受け取っていました。大人が伝えようとしていることと、子どもが実際に受け取るものは、必ずしも同じではありません。このことも、自分の経験を振り返って感じることの一つです。今なら、あの頃の自分にこう言いたいあの頃の私は、「僕はバカなんだ」と思いました。今なら、あの子に、「分からないところがあったんだね」「怖くて、考えにくくなっていたんだね」「一つの問題ができなかったことと、あなた自身の価値は別なんだよ」と伝えたいと思います。子どもは、大人の言葉を、自分が思っている以上に深く受け取ることがあります。そして、その言葉を何十年も覚えていることがあります。私にとって、「バカ!!!!」という言葉も、その一つでした。あなたの人生も、心理学の視点から振り返ることができます今、失敗するのが怖い。間違えると必要以上に落ち込む。人に教えてもらう場面で緊張する。「できない自分」をすぐに責めてしまう。そんな反応の背景にも、これまでの経験が関係していることがあります。子どもの頃、失敗したときにどんな言葉をかけられたのか。分からないとき、周りの大人はどんな表情をしていたのか。そのとき、自分は何を感じたのか。人生を丁寧に振り返っていくと、「自分は、ここから影響を受けていたのかもしれない」と気づくことがあります。私のカウンセリングでも、ご自身の生い立ちから現在までを一緒に振り返りながら、心理学や行動心理学などの視点を取り入れて、今の人間関係や生きづらさとのつながりを整理していくことができます。あなたの人生も、心理学の視点から振り返ってみませんか。自分のこれまでを知ることは、これからの自分を知ることにもつながります。※著書「おとなのことばがわからない」はこちらから※ご相談はこちらから
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<link>https://kokoro-care-seidai.com/blog/detail/20260922093633/</link>
<pubDate>Tue, 22 Sep 2026 09:52:00 +0900</pubDate>
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